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パート 2
脅威と闘う

·

広島には1945年8月6日に、そして同9日に長崎に原子爆弾が投下された。投下直後から5年の間に死亡した人の数は約34万人と推計されている 。国際赤十字・赤新月運動(赤十字運動)は、原爆投下から今日に至るまで、被ばく者のニーズに応え続けるとともに、一貫して核兵器の使用に反対の意思を表明し続けている。

  • ICRC delegate Fritz Bilfinger's telegram dated 30 August 1945
  • ICRC delegate Fritz Bilfinger's telegram dated 30 August 1945
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30日に広島訪問、状況はひどく、街は壊滅状態、病院の8割は全壊または甚だしく損壊。救急病院を2カ所視察したが、筆舌に尽くしがたい惨状。爆弾の威力は信じがたいほど破壊的。回復に向かっているかにみえた患者の多くが白血球の減少などの体内の異常により突然危篤状態に陥り、膨大な数の人々が生死の境をさまよっている。周辺の病院には現在も10万人以上の負傷者がいると推定されるが、不幸にも薬や包帯が足りず。 ICRCのフリッツ・ビルフィンガーが1945年8月30日に打った電報より © ICRC Archives.



PART 2.1

赤十字と赤新月:被害者のための継続的な活動



世界で初めて原爆が投下されたその翌日から、広島には周辺地域から日本赤十字社の医療班が到着した。現地の日本赤十字病院の職員を手助けし、同病院は甚大な被害を受けていたものの稼働。壊滅した街のさまざまな場所でテントを設営して、急造の治療施設としてその役割を果たしていた。
赤十字の外国人職員で最初に広島入りしたのは、赤十字国際委員会(ICRC)の フリッツ・ビルフィンガー フリッツ・ビルフィンガー, 元ICRC職員 1945年当時、ICRC職員として日本に赴任。赤十字の外国人職員として、初めて広島の地を踏んだ人物。 だった。だった。彼は8月29日に広島に到着し、前出の電報を東京のICRC代表部に送った。その数日後には、代表部から マルセル・ジュノー マルセル・ジュノー, 医師/ICRC駐日首席代表  スイス人医師。1945年にICRC駐日首席代表として派遣された。東京に到着したのは、長崎に原爆が投下された8月9日だった。 が広島入りし、「ここには静寂と廃墟しかない」 と表現した。彼が出会った原爆の目撃者は、爆発後の数秒間について次のように描写した。

市の中心部では、通りや公園にいた多くの人々が、焼けつくような熱波に襲われ、次々と死んでいきました。死を免れた人は目を背けたくなるほどひどい火傷を負って、虫のように這いつくばってもだえ苦しんでいました。民家も、倉庫も、何もかもがすべて、この世のものとは思えない力でなぎ倒されたかのように、跡形もなく消えてしまいました。路面電車はまるで重さがないかのように浮き上がり、数ヤードも遠くに放り出され、車両も線路から吹き飛ばされました。あらゆる生き物が、激痛に苦しむ姿のまま石のように固まってしまったのです。

Image with a quote from the Mayor of Nagasaki



仮設の診療所は火傷を負ったり放射線を浴びたりした重病人で溢れかえった。器具や薬はもちろん、医療従事者も全体的に不足していた。医療従事者の多くは、原爆によって命を奪われていた。生き残った数少ない医師や看護師は、これまでに見たこともない創傷に直面し、効果的な治療方法も全く見当たらなかった 。

日本赤十字病院は現在も、1945年に広島と長崎を襲った原爆に起因するがんなどの病気を抱える、何千人という被ばく者の治療を継続している。2014年4月から2015年3月の間に、被ばく者として公式に認定された人で治療を受けたのは、広島赤十字・原爆病院では4657人、日本赤十字社長崎原爆病院では7297人にのぼった 。核兵器によってもたらされる苦難の深刻さや規模に私たちの関心を呼び起こす被ばく者の声は、何よりも説得力がある。

世界で初めて原爆が使用されてからほどなく、ICRCは核兵器に対する明確な姿勢を表明した。広島に原爆が投下されてから1カ月もしないうちに、ICRCは各国の赤十字・赤新月社に対して、核兵器は廃絶すべきであるという見解を伝えた 。ICRCの立場は後に次のように要約される。

軍事目標と民用物の区別なく、その影響を受けた人々に残虐な被害を与え、それが引き起こす破壊の犠牲者に対して支援をもたらす可能性をも完全に奪う核兵器は、戦時国際法および赤十字が指揮する支援活動の根幹に疑問を投げかけた。

<p><em>広島県ホールは原爆により完全に破壊され、門の支柱だけが残った</em></p>
<p><em>広島県ホールは原爆により完全に破壊され、門の支柱だけが残った</em></p>
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広島県ホールは原爆により完全に破壊され、門の支柱だけが残った 広島平和記念資料館


広島と長崎に原爆が投下されてから70年が経過しても、核兵器の禁止と廃絶は今なお国際社会において実質的な進展のみられない、困難な課題として残されている。しかしながら、国際赤十字・赤新月運動は、「人間を守るために立ち上がり」 、核兵器の使用がもたらす容認することのできない人道上の被害に関心を寄せるための声を提供し、核兵器の国際人道法上の示唆を強調し、そして各国政府に対して可及的速やかに核兵器を禁止し撤廃するよう求めるという大きな責任を果たしていく必要がある。核兵器に対するICRCの一貫した姿勢に照らし、その使用の人道上の被害という観点から核兵器の問題を再考するという近年のイニシアチブの見解を踏まえて、核兵器に関する号として本書を出版することを決定した。

4枚のパノラマ写真から、1945年8月6日に原爆が投下されて焦土と化した広島を一望できる。これらの写真は、広島市の別々の場所で撮影された。本コンテンツは、VRヘッドセットと互換性があり、iOS またはAndroidのスマートフォンでも見ることができる。 © クレジット: 原爆 ドーム (林茂雄)、爆心地 (米陸軍)、中国新聞本社 (H.J. ピーターソン)、福屋百貨店 (林茂雄)



PART 2.2

今なお人類最大の脅威



1945年に最初の核兵器が使用されてから、その壊滅的な影響は世界に知れ渡った。40年にわたる冷戦時代には、常に核攻撃の危険が存在していた。一部の国では、核攻撃を想定して、防災訓練が定期的に行われたり、核シェルターが整備されたりした。また、核兵器反対運動も起こった。ところが現在は、核兵器に対する認識の度合いが大きく変容している。冷戦後に生まれた世代の大半を中心に、多くの人が、核兵器が人類に突き付ける継続的なリスクや、核兵器が使用された場合にもたらされるであろう深刻な人道上の被害を認識していない。

核の脅威はもはや存在しないかのようにみえる。しかしその一方で、逆説的に、現在は以前よりも、限定的な核戦争ですら人間の環境や健康に影響を及ぼすこと や、1996年に国際司法裁判所(ICJ)が核兵器の威嚇または使用の合法性に関する勧告的意見(核兵器に関する勧告的意見)の中で強調した「その破壊力は空間的にも時間的にも制限されるものではない」 ことがよく知られるようになった。

核兵器は武力紛争において1945年以来使用されてこなかったが、核実験は実験地周辺の住民の生活と、一部の軍関係者に深刻な影響を及ぼしてきた。実験地付近には、少数民族や島の住民も含まれ、環境にも深刻なダメージを与えてきた。

こうした現実がありながらも、一部の国家は依然として核兵器を安全保障政策の根幹として位置づけており、他方で核兵器の保有は邪悪な地位の象徴になっている。核武装国が保有する核兵器の総数は冷戦のピーク時よりも減少しているが、核兵器国は保有に加えて近代化も進めている。今日、14カ国に1万6,000発ほどの核兵器が備蓄されており、その多くが直ちに使用できる状態にある 。米国とロシアでは、およそ1,800発の核弾頭が高度の警戒態勢にあり、わずか数分で発射できるように準備されている 。これらの核兵器の大多数が、広島と長崎で使用された原爆よりもはるかに破壊力が大きい。これらの事実を考慮すると、意図的であれ偶発的であれ核兵器が爆発する危険は一層恐ろしいものとなる。

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インフォグラフィック:2016年当時の世界に存在する核兵器数推定を示す © ICRC



長崎を最後に核攻撃は一度も起こっていないという現実があるゆえに、世間では差し迫った危機感が薄らいでいる。しかし、人類は、核兵器の意図的または偶発的な爆発を将来的に回避できないかもしれない。70年以上核兵器が使用されていないという事実は、二度と使用されることがないことを保証するももではない。核兵器が存在し続けるほど、そしてより多くの国で核兵器が開発され、非国家主体までも核兵器を手にするような事態が現実味を帯びるほど、核兵器が再び爆発する危険はますます高まるのである。



Illustration depicting the humanitarian assistance after the atomic bomb


PART 2.3

法の範囲外ではない



人道上深刻な問題があるその他の兵器 とは異なり、国際人道法(IHL)は明示的に核兵器の使用を禁止してはいない。これは、法が沈黙していることを意味するわけではない。IHLは、核兵器の合法性の評価に関連する、敵対行為を規律する一連の一般的規則を規定している。これらの一般的規則には、区別の原則、均衡性の原則、無差別攻撃の禁止、過度の傷害や不必要な苦痛を与える性質を持つ兵器の使用の禁止、自然環境の保護の規則が含まれる。これらの規則の中核には、文民たる住民および個々の文民は軍事作戦から生じる危険から一般的保護を受けるものとする基本原則がある。

重要な軍事目標の破壊に加えて、核兵器は都市部とその地域の文民たる住民に対しても使用され得ることは忘れてならない。広島と長崎への原爆投下は、スペイン内戦から第二次世界大戦にかけて主要都市部の爆撃がエスカレートしていった末に生じた、最悪の結末だった。広島と長崎での原爆の使用については、当時適用され得る規則に照らした場合に合法であるか否かが盛んに議論されてきたが、仮に今日そのような攻撃が行われたとすると、現行のIHLの規則の下ではさまざまな深刻な問題や懸念を突き付けるだろう。

1996年、ICJは核兵器に関する勧告的意見を発表し、核兵器の使用は「武力紛争に適用され得る国際法の諸規則、特に人道法の原則と規則には一般的に違反する」であろうという判断を下した。その一方で、「国家の存亡そのものが危ぶまれる自衛の極限状況において」核兵器の使用が合法となり得るか否かについては結論を下さず 、判断の一部は広く批判を浴びている 。本誌はその当時、主にこの勧告的意見の観点から核兵器の問題を特集した号を発行した 。その後も定期的にこの問題を取り上げている 。今日、核兵器の使用がもたらす人道上の結末への注目が高まりつつあるが、この機に乗じてこの問題を再び取り上げて徹底的に再検討していくのは、まさに時宜に適っているといえるだろう。

核兵器に関する勧告的意見から20年近くが経過したが、核兵器が人道的観点から深刻な懸念を生じさせているのは今も変わっておらず、核兵器の使用が既存のIHLの規則と整合する可能性について重大な疑問を提起することは明白だ。ICRCは1996年に、核兵器に関する勧告的意見を受けて、「どのように解釈すれば核兵器の使用が国際人道法の規則に照らして合法であるとみなすことができるのか理解に苦しむ」 と述べている。本書では、ルイス・マレスカとエレノア・ミッチェルが、人口密集地での核兵器の使用は無差別攻撃に相当し、さらに、人口密集地以外の場所での核兵器の使用も国際法に違反するとみなすべきであると結論付けた。